最終更新: skywalker_laurence 2016年09月17日(土) 20:33:25履歴
食事の摂り方、ということですが簡単にいうと風と水の属性のバランスが重要だ、ということなのです。確かに火と大地もこの世を構成する重要な要素であることには変わりないのですが、食事、あるいは生命として必要な養分としては人間の場合は風と水が主に重要な要素になってきます。人間はかなり高度に知能が発展した生き物ですし、むしろ摂りすぎると生命を縮めるカロリー、つまり大地と火の属性は、必要以上に摂りすぎるのは避けたほうがいいでしょう。もちろん、食べ物としては火と大地の要素も欠かせないのですが、それはむしろ成長期にわずかに必要な要素で、大人になってからの食事、あるいは風味、味を楽しむ食事としてはむしろ、風や水の要素中心の食材、食事にしたほうがよいでしょう。いちいち一個一個の例を挙げているときりがありませんから、ここでは大概な論に終始するとして、調理・加工では確かに大地の器、それから火力としての火の属性を用いますが、それらの属性を使った上にさらに大地と火の属性の食材(穀物、肉類が中心になりますから、摂りすぎると当然カロリーオーバーですね)を中心にしてしまうと、どうしても太りやすくなったり不健康になりがちです。一方、主食は穀物(大地の属性ですね)で摂るとして、主菜や副菜、つまりおかずを水や風の要素中心にしてみたら、どうでしょう?大抵の場合、海産物や野菜が中心になりますが、当然お腹にも来にくいですしなにより栄養は摂れて、カロリーになりません。火や大地の属性、つまりエネルギーや栄養分が足りなければ、単に穀類などで補えばいいだけの話で、基本的に風味や味、食べたおいしさを食事の中心に据えるのなら、やはり主菜というか最低限副菜、おかずは海産物や野菜中心のものにしたほうがよいでしょう。その地方地方で摂れるもので大丈夫なのですが、海産物や野菜はそもそも味付けがしやすいですし、ほんの少し摂りすぎたぐらいでは、そこまで太るほどのカロリーにはなりません。また、出来るだけ味付けは植物由来のもの、ハーブか油を積極的に使ったほうが健康にいいのは確か、です。ただ、それも入れ過ぎればいいか、といったら当然そうではなく、最低限風味と健康、それからおいしい食事、のためですので最低限の量を適度に使いながら、その食事の都度に合わせてバランスよく味付けるのがポイントです。ひいては、ここでバランスよく最低限の味付けをする技術が、風と水の属性のバランスの取れた食事を作る技術的には、最終的には一番重要な要素になってくる、のです。結局、結論をいえば何でもやりすぎや摂り過ぎはよくない、というだけの話で、四大元素的にそのバランスを取ろうとするのなら、単純にカロリーになりやすい火や大地の属性よりも、味や風味がよくなりやすい、あるいは付けやすい風や水の属性中心の食材、食事のほうが、毎日繰り返し似たような食事を食べる、ということを考えると、やはり体というか健康的には、一番いいのです。もちろん、食材にはただ単一の属性のものだけでなく、3つだったり火・水・風・大地の四大元素がバランスよく入っている、エリキシル(万能薬)のような食材も、確かにあることはあります。ただ、4つの元素がバランスよく入っているので、当然ある程度はカロリーになりますし、何よりそればかり集中して買っていても結局はコストがかかり過ぎてしまいます。そしてなにより、そのような食事ばかりでは、むしろ栄養の摂り過ぎで体に悪くなってしまいます。まぁ、何事もやりすぎ、摂り過ぎはよくない、ということのいい例えなのでしょうが、とにかく、この世界のバランスを考え、調和をとって生きる、これが、錬金術的な風と水のバランスから食事を考える、という点においては、一番重要なポイントなのではないのでしょうかね。とにかく、バランスを取る、のが重要になってくる、のです。賢者の石も、万能の霊薬、エリキシルも、大いなる調和から、生まれていることにはまず変わりはない、でしょう。この世の調和を重んじて生きるのが、私たち人類にとっては重要なこと、ですしこのすばらしい世界を維持、あるいはすべての生物が幸せでいられる世界にしていくためには、どうしても必要なこと、なのです。
〔追記〕
錬金術的な話でいくと、風・水・大地の三元素は特に、自然の中核を為す、象(かたち)作る要素でもあります。まぁ、元々四大元素といって火を含めた四つしかないのはちょっと置いておきますが、古の大賢人いわくそれら四大元素、四つに収まったのはむしろ知恵の結晶というもので、確かに色々な自然の法則性からすれば4つに収まるのは分かりきっていたことなのかもしれませんが、それ以上にこの自然の様々なものを火・風・水・大地の四つの組み合わせで考えるというのは、非常に割に合う、そして理に適った概念、だと思います。なぜなら、実際の細かい元素の分類でみれば確かにその四つで分けるのが都合がいいのかもしれませんが、それ以上に今知られているこの地球上の様々な自然物が、ほとんどこの四大元素の元バランス良く成立しているように思えて仕方がない、のです。確かに、自然発生的だからそうなった、とか誰かが仕組んだからそうなった、といってしまえば話はそれまで、なのですが、でもそれ以上にこの四大元素の組み合わせ、で自然物のほとんどに説明がついてしまう、というのはどうも上手く出来過ぎている、ように思えてなりません。まぁ、こんなところで無駄に疑ってかかってみてもしょうがないといえばそうなのですが、それ以上にこの四大元素の成り立ちと組み合わせについては非常に注意深く、そして興味深く観る必要が、あるというのは紛れもない事実です。四大元素、というと四つしかないから単純すぎて自然の説明がつかないんじゃないか、という声も聞こえてきそうですが、そういう人ほど四大元素をもっとよく注意深く観て、そこから学ぶ必要がある、と思うのです。この自然界の自然物が何で成り立っているにしろ、自然の法則性にはある意味の絶対性があるわけですから、そういうところから学べることも、少なくはないということ、なのです。何を学ぶのかは個人の自由、ですがそれにしてもこの地球上の自然からは学ぶことが非常に、多い。あなたも、錬金術をかじる端くれなら、一度はちゃんと自然を観る癖をつけたほうが、いいですよ、でないと、後悔することになりますよ?自然は全てを下さりますが、同時に全てを持ち上げて取り去るものでもある。この寛容と無為のバランスを、あなたも脳裏に焼き付けておいたほうが、非常にいいことがあると思います。もしそれができるのであれば、あなたはこの自然について半分は知ったことになるでしょうね。残りの半分は、自分の足で歩いて、自分の肌で感じて、自分の眼で観て、得るしかありません。そこから感じ取った何かを、あなたもいつか他の人に表現できるようになると、さらに自然について理解を、深めることができるでしょうね。
〔追記〕
錬金術的な話でいくと、風・水・大地の三元素は特に、自然の中核を為す、象(かたち)作る要素でもあります。まぁ、元々四大元素といって火を含めた四つしかないのはちょっと置いておきますが、古の大賢人いわくそれら四大元素、四つに収まったのはむしろ知恵の結晶というもので、確かに色々な自然の法則性からすれば4つに収まるのは分かりきっていたことなのかもしれませんが、それ以上にこの自然の様々なものを火・風・水・大地の四つの組み合わせで考えるというのは、非常に割に合う、そして理に適った概念、だと思います。なぜなら、実際の細かい元素の分類でみれば確かにその四つで分けるのが都合がいいのかもしれませんが、それ以上に今知られているこの地球上の様々な自然物が、ほとんどこの四大元素の元バランス良く成立しているように思えて仕方がない、のです。確かに、自然発生的だからそうなった、とか誰かが仕組んだからそうなった、といってしまえば話はそれまで、なのですが、でもそれ以上にこの四大元素の組み合わせ、で自然物のほとんどに説明がついてしまう、というのはどうも上手く出来過ぎている、ように思えてなりません。まぁ、こんなところで無駄に疑ってかかってみてもしょうがないといえばそうなのですが、それ以上にこの四大元素の成り立ちと組み合わせについては非常に注意深く、そして興味深く観る必要が、あるというのは紛れもない事実です。四大元素、というと四つしかないから単純すぎて自然の説明がつかないんじゃないか、という声も聞こえてきそうですが、そういう人ほど四大元素をもっとよく注意深く観て、そこから学ぶ必要がある、と思うのです。この自然界の自然物が何で成り立っているにしろ、自然の法則性にはある意味の絶対性があるわけですから、そういうところから学べることも、少なくはないということ、なのです。何を学ぶのかは個人の自由、ですがそれにしてもこの地球上の自然からは学ぶことが非常に、多い。あなたも、錬金術をかじる端くれなら、一度はちゃんと自然を観る癖をつけたほうが、いいですよ、でないと、後悔することになりますよ?自然は全てを下さりますが、同時に全てを持ち上げて取り去るものでもある。この寛容と無為のバランスを、あなたも脳裏に焼き付けておいたほうが、非常にいいことがあると思います。もしそれができるのであれば、あなたはこの自然について半分は知ったことになるでしょうね。残りの半分は、自分の足で歩いて、自分の肌で感じて、自分の眼で観て、得るしかありません。そこから感じ取った何かを、あなたもいつか他の人に表現できるようになると、さらに自然について理解を、深めることができるでしょうね。
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